小室哲哉とジャングル

id:gotanda6こと速水健朗氏が、小室哲哉の名言「今年はレイヴが来る」を振り返るという記事で、小室の音楽性、とくにガラージ/ハウス/テクノとの距離感について考察している。
ジャングルに関しては「どなたかよろしく」とあったので、これはTM NETWORK好きで、かつジャングル/ドラム&ベースDJだった俺が書かねばなるまい。


H Jungle with t結成のいきさつは、『HEY!HEY!HEY!』で毎回レポートされていて、当時の周囲(ダンス・ミュージック好き)の評価は、おおむね好意的だったように思う。
「えー、コムロがジャングルやるんだ!? 大胆だなー」みたいな。
当時ジャングルDJ見習いだった俺も、「これでジャングルが世の中に広まるといいなあ」とか、のんきに思っていた。


ところが、発売された「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」は、ジャングル好きには「なんじゃこりゃ?」としか思えないものだった。
なんといっても、ジャングルの命といえるブレイクビーツがない。サブベースがない。
なんだ、あのちゃっちいビートは!?


このあたりから、世間的な大ヒット(200万枚!)とはうらはらに、当時のジャングル好きDJやクラバーたちは、小室を敵視するようになった。
「日本にジャングルが定着しないのは、ジャングルの間違ったイメージを広めた小室のせいだ」みたいな論調を、雑誌で目にした記憶がある。


興味深いのは、当時のavex洋楽部が、ケメット・クルーやコンゴ・ナッティ、ポテンシャル・バッド・ボーイetc.の、コアすぎるぐらいコアなアルバムを続々リリースしていたことだ。
メタルヘッズの国内盤もここが最初。独自編集のコンピもバンバン出てた。
ムーヴィング・シャドウやS.O.U.R.といった、当時勢いのあったレーベルのクルーを招聘して、ベルファーレでイベントを行ったりもしていた。
ただ、残念ながら、両者(小室とavex洋楽部)の動きは、ほとんどリンクしていなかった印象がある。


日本ではDJフォースやダズルTがジャングルのパーティを主催していたが、なかなか客は増えず、そのへんのパーティに足しげく通っていた俺は、「小室さん、Hジャングルで大儲けしたんなら、少しは日本のジャングル/ドラム&ベース・シーンも応援してよ!」という気持ちだった。
もちろん小室にそんな発想があるわけもなく、「日本中の街角でH Jungle with tが流れているが、クラブのジャングル・パーティは盛り上がらない」という日々が続いた。


いま思うと、ジャングルがなかなか日本に定着しなかったのは、小室のせいだけではないような気がする。
もちろん、重要戦犯ではあるが。
そのへんの話はまた、項を改めて。