ピーター・トッシュ『解禁せよ』『平等の権利』(レガシー・エディション)

解禁せよ(レガシー・エディション)

解禁せよ(レガシー・エディション)

平等の権利(レガシー・エディション)

平等の権利(レガシー・エディション)

ふだんリマスター盤やアニバーサリー盤にはあまり興味がないのだが、このリイシューには感服した。
76年の『解禁せよ(Legalize It)』、77年の『平等の権利(Equal Lights)』、ともにレゲエ史上のみならず音楽史上に残る名盤だが、なぜ彼がこの時期にここまで完成度の高い作品を作ることができたのか? 多数追加収録されたボーナス・トラックのデモ・ヴァージョンや未発表ヴァージョンを聴くと、その過程が手に取るように理解できる。
ハービー・ミラー、大石始の両氏によるライナーノーツも読みごたえ十分。「Steppin' Razor」のイントロのドラム・パターン(チッチキチキチー・チリチキチキチー)は、スライ・ダンバーがアイザック・ヘイズの「Shaft」に触発されて考案したそうだ。このへんの誕生秘話っぽいエピソードも、じつに興味深い。

【特集】 ピーター・トッシュ|HMV ONLINE

http://www.hmv.co.jp/news/article/1106230045/


そんなことを考えているうちに、以前『remix』2004年10月号に掲載した、ピーター・トッシュにまつわるテキストを発見したので再掲する。

「俺は歩くカミソリ。気をつけな、怪我するぜ」 ピーター・トッシュの伝記映画がDVDに

 8月6日(金)、広島原爆記念日。8時15分に黙祷して家を出る。夕方、仕事の用事で下北沢へ。最近この街の雑貨屋や古着屋では軒並みレゲエやスカ、ロック・ステディがかかっている。レゲエ好きとしては単純にうれしいのだが、どこか一抹の物足りなさを覚える。理由は自分にもよくわからない。
 92年に公開されたピーター・トッシュの伝記映画『Stepping Razor Red X』がDVD化された(アップリンクより発売中)。87年9月11日、ピーター・トッシュは自宅に侵入した3人の賊に拳銃で頭を撃たれて死んだ。犯人のなかにはピーターの顔見知りもいたという。なぜ殺されたのか、誰が命令したのか。事件の真相はいまだによくわかっていない。
 44年生まれのピーター・トッシュは、キングストンのゲットー、通称「トレンチ・タウン」でその少年時代を過ごした。札つきのルード・ボーイとして鳴らした彼は、不良仲間のボブ・マーリー、バニー・ウェイラーとコーラス・グループ、ザ・ウェイラーズを結成する。R&Bやドゥー・ワップを愛する3人のコーラスと、当時生まれた新しいダンス・ビート、スカの強力な組みあわせでヒット曲を連発したウェイラーズは、その後ロック・ステディ〜レゲエへと音楽性を移行しながらラスタファリアニズムへの傾倒を深め、名実ともにジャマイカを代表するレゲエ・グループへと成長していく。ドスの効いたトッシュのバリトン、天に昇るようなバニーのファルセットがボブのリードとあわさる初期ウェイラーズのサウンドがいかに奇跡的なものだったかは、レゲエ・ファンなら誰でもごぞんじだろう。
 75年にウェイラーズを脱退したピーター・トッシュは、翌年、アルバム『解禁せよ』でソロ・デビューする。任侠肌の硬骨漢であり、「ステッピング・レイザー(歩くカミソリ)」の異名をもつピーター・トッシュのレゲエは、正義と自由と平等を主張する力強い歌詞とバンド・サウンドで世界中の人々を熱狂の渦に巻きこんでいった。
 83年から死の直前まで、ピーター・トッシュは自叙伝的な口述をカセット・テープに録音していた。映画『Stepping Razor Red X』は、死後3年目に発見されたこのテープをもとに制作されている。劇中では私生児として生まれた彼のふた親(とおぼしき人物)や、僚友スライ・ダンバー、アール・チナ・スミスらの証言に加え、ウェイラーズやソロ時代のライヴ映像をまじえながら彼の生涯が描かれている。
 生前の彼が「Red X」と名づけたテープのなかで、ピーター・トッシュは、少年時代に有刺鉄線に激突して失明しかけたという事故について語っている。彼はその理由を「悪霊のしわざ」だといい、このとき以来、つねに悪霊にさいなまれていたともいっている。ピーター・トッシュの生涯は、いわばこの悪霊との闘いの連続だった。
 もしもピーター・トッシュが生きていたら、「いまの世界は悪霊に支配されている」というはずだ。この国にもいたるところに悪霊が取り憑いている。ボンボ・クラット! 俺はそいつの正体を暴いてやる。そのためにピーター・トッシュを聴く。『解禁せよ』を、『平等の権利』を、『核戦争反対』を聴く。(春日正信)