プログ・ロックでいちばん好きなのはソフト・マシーン。
ピンク・フロイドやキング・クリムゾン、イエスは中年になってハマったのでプログレデビューはかなり遅かったんだが、ソフト・マシーンだけは20歳の頃に出会って以来、ずっと聴き続けている。
当時よく聴いていたロンドンR&Bやサイケデリック・ロック、フリー・ジャズ、そしてなにより最愛のジミ・ヘンドリクスとの距離が近かった。
バンド名の由来となったウィリアム・バロウズの『ソフト・マシーン』はいまもって未読だが、『裸のランチ』は首をひねりながら読んでいた。
Soft Machine - The Soft Machine(1968)
open.spotify.com学校帰りによく寄っていた高円寺のレコード屋『The 55』で買ったCD(1stと2ndのカップリング盤)を聴いたときの衝撃は忘れられない。
縦横無尽にアグレッシヴに暴れまくるラトリッジの凶暴なオルガン、楽曲の完成を「目指さない」自由な意思と緊張感に満ちたアンサンブル。
部屋で流しっぱなしにしてよく聴いたし、カセットのA面とB面にダビングして歩きながら聴いていた。
ケヴィン・エアーズとロバート・ワイアットのその後の軌跡を知ると、このトリオは奇跡としか思えない。
いま1stを聴きなおしたらロバート・ワイアットが叩くファンク・ビートのゴーストノートがキレッキレにシャープでシビれる。
2ndはいま聴くと「プレthird」って感じで1stより構成・構築されている。エアーズからヒュー・ホッパーに替わったのが大きいのか。ディストーションビンビンのベースがヤバい。
Soft Machine 'Hope for Happiness' live 1967
www.youtube.com学生時代にはブリティッシュ・ビート研究会と文学研究会に所属していたんだけど、アートスペース・イオロスというプログレサークルがありまして、当時のビート研の連中はイオロスの人たちを「あいつら、上手いからな」といまいましそうにディスっていた。こともあろうに「上手いから」って(笑)。
ブリティッシュ・ビート研究会は楽器の練習よりも髪型やズボンの丈にこだわる妙なサークルであった。
〈オア・グローリー〉や〈レディ・ステディ・ゴー〉、下北沢や高円寺の古着屋でモッズ・アイテムを揃え、梅ヶ丘〈洋服の並木〉で三つボタンスーツを仕立て、だんだんエスカレートした一部の60sファッション探求派は場末の古びた洋品店でお年寄りのご主人に「君たちグループサウンズみたいだね」なんて言われながらデットストックのシャツやスラックスを物色したりしていた。
Soft Machine - 'Switzerland 1974' Official Trailer
www.youtube.com哲人のごとき賢者のごときたたずまいでクールなフレーズをビシビシキメるラトリッジ先生。
トレードマークの「長髪・ヒゲ・サングラス」の風貌が固まったのは『Fourth』の頃だろうか。
サライネス『大阪豆ゴハン』で松林が通うレコード屋の店主がマイク・ラトリッジ似なのを思い出してクスクス🤭
『レコード・コレクターズ』のソフト・マシーン特集を手掛かりにあちこちの店を回ってレコードやらCDやら揃えたものだった。
そうそう、『remix』の小泉雅史さんもマシーン大好きで大いに意気投合したものだった。ハットフィールド&ザ・ノースの魅力は小泉さんに教えてもらいました。
その後USENで働いてた頃、別部署の先輩だったユキシゲさんの携帯メールのアドレスが"softmachine..."だったので声をかけたらドがつく碩学ロックマニアなことが判明して、以来ユキシゲさんとは親しく交流させてもらった。亡くなって10年経つ。
ラトリッジさん、あっちでユキシゲさんと一杯やってください。南無阿弥陀仏。
いまではSpotifyであれもこれも聴ける。レアだったライヴ音源やラトリッジのソロも。いい時代になったものですね。