Zora Neale Hurston - Tell My Horse: Voodoo and Life in Haiti and Jamaica (1938)
「ここには生者と死者がいて、それからゾンビがいるのだ」
帯のコピーはいささかセンセーショナルだが、中身はいたって学術的・学究的。
アメリカ合衆国の小説家・人類学者ゾラ・ニール・ハーストン(1891~1960)は、米国南部における黒人民話の調査を経て、1936〜37年にジャマイカ、そしてハイチに渡り、 さまざまな秘儀の現場に足を踏み入れ、そこで見聞きしたできごとや習俗、伝説をつぶさに描写している。
魔術的リアリズム。いやはや、もうすっかりやられた。すごい本だ。すごい作家だ。
『ヴードゥーの神々』のゾラ・ニール・ハーストンは、懐疑的で、シニカルで、おかしくて、皮肉で、才気にあふれ、革新的である。さまざまな技巧とジャンルの混ざりあったこの本は、一九三八年に初版が出版されたが、確実に一九九〇年代のポストモダン主義の本となるはずである。だが、彼女の最大の功績は、キリスト教よりも仏教よりもイスラム教よりも古い宗教の深遠なる美しさと魅力を開示したことにある。この宗教は、ぞっとするような悪名と信者に対する迫害にもかかわらず、生き延びてきたのである。
(イシュメイル・リード)
前半はジャマイカにおける民間信仰の記録。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズに『ダピー・コンカラー』(Duppy Conqueror)という曲がある。この「ダピー」とは死後に亡骸から出てきて人に害悪を与え、ときには呪い殺したりするという死霊のことを指す。
Bob Marley & The Wailers - Duppy Conqueror
「ああ、ダピーは、墓と自分が住んでいた家の間を行ったり来たりしているのさ。ダピーは庭にいて、生きていた時行った場所を全部訪ねて回るんだ。九夜目に、自分が最後に住んでいて、息を引き取った部屋に戻ってきて、何でも持っていきたいものの影を持っていくんだよ。私らは、ダピーがそこにいることを知ってるから、臨終の部屋にダピーが欲しがるものを何もかも用意しておいて、ダピーが幸せに去っていき、戻ってきて私らにたたったりしないようにするのさ。私らは、ダピーが歌が好きだってことを知ってるし、最後に一日、家族や友達に会いたいと思っているのを知っている。近所じゅうの人間がやって来て、ダピーを喜ばせ、ダピーが安らかに眠って二度と戻ってこないようにするんだよ」
話は延々と続いた。瓶の中に捕まえられたダピーの話、恐ろしい武器にするためにピメントの枝の上に閉じ込められたダピーの話、病人のベッドに座り、病人に向かって「熱を放つ」ダピーの話、病人をベッドから放り出すために雇われたダピーの話、家々に石の雨を降らせるダピーの話、人々を操って、自分と一緒に町から町へ歩き回らせるダピーの話。
(第四章 通夜の歌)
ちなみにゾラ・ニール・ハーストンは1914年にジャマイカでマーカス・カーヴェイが創設した世界黒人地位改善協会(UNIA)の機関紙『Negro World』に執筆している。
Issa El Saieh - Tanbou Pam
open.spotify.comハイチの習俗を克明に取材し記録した後半には、ヴードゥーの神々にまつわるおびただしい数の伝説と逸話がちりばめられている。オグーン、シンビー、レグバ、ラーダ、ペトロ……
なかでも嫉妬深き女神エルズーリー・フレイダ(Erzulie Freda)の話が印象深い。
ハイチの誰ひとりとして、エルズーリー・フレイダが何者かということを本当に話してくれたはいない。だが、人々は私に、彼女がどんなふうで、何をするかということを話してくれた。聞いた話すべてから判断すると、彼女が異教の愛の女神であることは明らかだ。ギリシャやローマでは、愛の女神は夫を持ち、子供を産むが、エルズーリーには子供がなく、彼女の夫はハイナのすべての男たちである。すなわち、彼女が自分のために選んだすべての男ということだ。だが、今までのところ、ハイチでは、彼女を明確に定義した人は一人もいない。完璧な女である彼女には、愛と服従を捧げなければならない。彼女の愛はとても強くて、恋人を束縛し、恋がたきを許さない。
(第十章 ヴードゥーの神々)
Fela Kuti - Zombie
open.spotify.comそしてハイチ、ヴードゥーといえばやはりゾンビだ。俗説やインチキは山ほど目にしたが、ここまでゾンビの核心に迫る記述を私はいままで読んだことがない。
数多くの一流階級のハイチ人が、私に、ゾンビの話は全部神話だと言った。彼らは、一般人が迷信深いことを指摘し、ゾンビの話は、ヨーロッパ人が信じている狼男と同じように根も葉もない話だと言った。
だが、私は運よく、過去にあった有名な話をいくつか知ることができ、本物のゾンビを見て、触るという稀なチャンスに恵まれた。私はゾンビの喉から途切れ途切れに出る音を聞き、それから、いまだかつて誰もしたことがないことだが、ゾンビの写真を撮った。
(第十三章 ゾンビ)
ヴードゥーの習俗が私にとって親しく感じられるのは、おそらく私自身の宗教的背景があるのだろう。そこからさほど遠い世界だと思えないのだ。
念仏会でさんざんトランスしまくったあとはビール→梅酒(自家製)、しまいには秘蔵の「ハミ焼酎」(これも自家製。うちのバーサンが鎌で首をハネたマムシが浸かってる)が登場。バーサンどもが夜更けまで腰を抜かすまでしこたま呑んで騒いでいたのだった。
— stonedlove (@mskasuga) 2018年1月19日
「ヴードゥーとは何ですか?」
「ヴードゥーとは命です。単なる宗教ではありません。ヴードゥーとは人間です。命そのものなのです」
(訳者あとがき)
アボボ!