K-POPの実力と『成熟と喪失』

昨年11月28日、Perfumeが参加した〈2010 Mnet Asian Music Awards(MAMA)〉の中継を見たが、いまの韓国芸能界の圧倒的なパワーを見せつけられた感があった。とにかくコッテリしてギラギラしてアグレッシヴだった。


日本の芸能ひいては文化全体に共通する「つたなさ」「はかなさ」を愛でる感覚が、ここでは裏目に出ている気がする。マーティー・フリードマンみたいに、そこを評価する人もいるが、世界市場では圧倒的に韓国の勝ちだろう。鍛え方が違うというか、馬力が違う。K-POPは過剰なまでにプロフェッショナル。


K-POPの「成熟」と、「つたなさ・はかなさ」を愛でる日本人の心性。この違いはなんだろう? などと考えながら本棚を見ると、江藤淳『成熟と喪失』が目にとまった。

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

「日本の母と子の密着ぶりと米国の母子の疎隔ぶりのあいだには、ある本質的な文化の相違がうかがわれるはずだというのである。」(江藤淳『成熟と喪失』)
読み返してうなることしばし。やっぱすげえな、この本。戦後日本における家父長制崩壊のドキュメントだ。


そして2011年のいま、俺のケータイは、もはや「かふちょうせい」という単語を変換できない。