祖父は俺が8歳のとき、64歳で死んだ。
小さい頃の俺にとっては、グリコのペロティをときどき買ってきてくれる、やさしいおじいちゃんだった。
優秀な石工として広島近郊の各地で活躍していたと聞く。
俺が生まれる前、じいちゃんは兵隊に行った。
肩には弾丸が埋まっていた。
一緒に風呂に入るとき、「お湯が熱い」と弱音を吐くと「乃木大将はこのぐらいじゃへこたれんかったぞ」とよく言われたのを覚えている。
いまでも熱い風呂は苦手だ。
大人になってから聞いた話。というか、つい最近弟から聞いた話。
じいちゃんはガダルカナルへ行った。
弟からの伝え聞きでは、祖父の死後、戦友が消息を訪ねてきたらしい。
「そうですか、鬼一さんは亡くなられたんですか……」と。
※「鬼一」の話はここ。
俺の名字はふたつある - stonedlove’s diary
ガダルカナルでは3万6千人出兵して2万4千人死んでいる。しかも死因の多くは戦死ではない。餓死だ。
地獄以外のなにものでもない。
1945年8月。敗戦が決まり、ガダルカナルにも引き揚げ命令が下った。
祖父の部隊も「日本に帰れる!」と港まで出発したが、そのとき祖父はマラリアにかかって身動きできなかった。
件の戦友も含め、「すまん、鬼一!」と祖父ら傷病兵を置き去りにして、動ける兵隊だけで拠点から海岸までの遠い道のりを出発した。
2〜3日がかりでようやく海の近くまで着いたところで祖父が追いついてきて、
「鬼一! お前か!」とみんなで泣いて喜んで一緒に帰還したらしい。
泥水をすすりながら這って部隊のあとを追い、無理矢理マラリアを克服して追いついたそうだ。
祖母も知らなかった話らしい。
俺にとってはやさしいおじいちゃんだったが、父が若い頃は夜中に突然暴れだす祖父を恐れて、殺されないようにバットを抱えて寝ていたこともあったそうだ。
狂ったんだろう。狂わされたんだろう。