1/250 原爆ドーム:組み立て

10数年前に帰省したとき、広島平和記念資料館原爆資料館)で購入した原爆ドームのプラモデル。
買ったはいいが題材が題材なので気が重くなって長年寝かせていたが、日本会議による『はだしのゲン』バッシング、核兵器不拡散条約(NPT)へのわが国の不参加、映画『オッペンハイマー』公開、広島市長による教育勅語擁護といったニュースを耳にしながら一念発起して、ひとまず組み立て完了しました。

パーティングラインのバリがすげーバリバリ。それもあってしばらく二の足を踏んでいたんですが、マイクロセラブレードであっさり解決! ありがたや。

説明書には「企画・制作 産興株式会社」とある。模型メーカーじゃないみたいだから有志がイチから手探りで作ったんじゃないかなと想像。
説明書には「プラモデル用接着剤」とあるけど、タミヤセメントで接着してもポロポロはがれるのよね。
もしかしてABSなのかな? と思ってABS用接着剤で貼ってみたらガッチリ溶着できました。

広島で生まれ育ったので、原爆ドームはいろいろとなじみ深い。
原爆投下直後、私の実家がある高田郡にも汽車やトラックで被爆者が運ばれ、祖母も救護に駆り出された。
現在の吉田小学校が野戦病院にあてられたがなすすべもなく、被爆した人々はバッタバッタと死んでいった。そのむごたらしい光景を忘れられないと祖母は語った。
さいわい祖母は長生きして往生したが、被爆者手帳を持っていた。

私は中学生の頃、部落解放同盟の少年部「部落解放子ども会」の広島県支部「解子連」の委員長を務めており、平和行進の先陣を歩いた。
8月5日の早朝に三次市の解放センターを出発して60数キロの道のりを反戦反核・反差別」のシュプレヒコールを上げながら終点の平和公園まで歩き、翌朝は子供たち全員で8時15分に原爆ドームの前でダイ・インを行った。

プラモデルを組みながら、父の親友だった故・殿敷侃さんのことを思い出していた。

殿敷侃『まっ赤にぬられてヒロシマが視えた』(1987)

 「殿敷は最後の数年、美術館から自らの作品を引き剥がし、そして美術館にいる私たちが相手にできない作品を作り続けた。行為が主体であり、物としての作品は存在しない」

kousin242.sakura.ne.jp作業中のBGM:
Peter Tosh 『No Nuclear War』

open.spotify.comCrass 『Best Before 1984

open.spotify.comFlower Travellin' Band 『Made In Japan』

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上々颱風「恋で地球は回ってる~原爆を許すまじ」

open.spotify.comアーバンギャルド「原爆の恋」

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