実際にはなかった歴史をまことしやかに叙述したのが「偽史」。正統的な歴史研究からは否定されながら、今に至るまで、偽史は常に一定の人々の支持を集め続けている。なぜ人は偽りの歴史に引きつけられるのか。
ja.wikipedia.org坂上田村麻呂は黒人だった!?
東スポの見出しみたいな題名で爆笑して半笑いで読みはじめたけど「源義経=ジンギスカン説」みたいでおもしろいなこれ。偽史の発生と伝播のプロセスがよくわかる。
被差別部落と偽史
あからさまな肉体的差異が少ない日本の風土においては、差別の対象が選ばれる理由は恣意的だ。
学校において、社会において、いつ誰がいじめられる対象になるかわからない日本の「いじめ」の構造と同じく、被差別者は差別者によって恣意的に選ばれる。
言いかえれば「差別の起源」などない。被差別者に「なぜ?」を問うても答えは永遠に出ない。
差別者=マジョリティ=「普通の日本人」は、その時代その時代において「なんとなく違う奴」を差別の対象にする。被差別部落の起源がはっきりしないのはこれが理由だ。逆にいうと日本社会における差別のメカニズム(「なんとなく違う奴」を排除する)は中世からずっと一貫している。
俺の実家は吉田郡山城の「山」と「里」の境目にあり、先祖は城の警護役だったという史料がある。
自分の先祖が「忍者」だったかもしれないという「偽史」は、俺と歴史を接続し、時空を超え、生きる実感をありありと与えてくれる。
中上健次『枯木灘』の浜村龍造は、自分が浜村孫一(雑賀孫一)の子孫だという「偽史」にとりつかれていた。
昨今『日本国紀』という偽史が多くの「普通の日本人」を鼓舞している構造と、『枯木灘』の孫一伝説、俺の「先祖は忍者」という偽史がもたらす「生の実感」は、いずれも同じメカニズムに基づいている。
中上健次が「偽史」「サーガ」「物語」にこだわり続けた理由はそこにある。
「黒い偽史」と音楽
中上はボブ・マーリーが大好きだったんだよね。ラスタファリアニズムは「偽史」の最たるもの。
マイルス・デイヴィス『Bitches Brew』は史上最高のフェイク・ヒストリー・ミュージック。
フェイク・ヒストリーのタガがはずれて宇宙まで行っちゃったのがサン・ラ〜Pファンク〜デトロイト・テクノに連なる黒人宇宙人の系譜。
ジョージ・クリントンはそのフェイク・ヒストリーがもたらすパワーとストラクチャーにはむちゃくちゃ自覚的だけどね。
デトロイト・テクノの連中はそれをもっとクールに、抽象的に表現した。アフロフューチャリズムもその流れにある。
まんが・アニメと偽史
『逆襲のシャア』のラストで、なにもかも失ったシャアは突然ララァに「帰依」すんのな。あれ完全にシャアの脳内「偽史」だよ。勝手に聖母にされるララァもいい迷惑だよな。
ただその「偽史」と「帰依」のメカニズムには猛烈に興味がある。
昭和27年の未来世紀ブラジル・ニッポン。レイワ3年のいまここで既視感ありありバッキバキの偽史世界。メガゾーン23。
mainichi.jp吉村ってあんなに馬鹿なのになんで大阪で人気あんの?
と思ったけど、大阪で大阪のテレビ見てると「勇敢で頼もしいわれらのヒーロー」みたいに見えるんだろうね。
『メガゾーン23』みたいなことになってる。プロバガンダで外界から遮断された陸の孤島。
リアルな世界で国土も人心も荒れ果て偽史が跋扈するなかで、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』はああいう形でかすかな希望をかいま見せてくれたんだな。
歴史修正主義に対抗するには、もはやそれを凌駕する強度と魅力・魔力をもったフェイク・ヒストリーしかないのではないか?
『ゴールデンカムイ』を読んで、その確信をますます強めている。
かくも堂々と「偽史」に足を踏み入れる作者の姿勢に敬意を表したい。
あとこのまんがの注目すべきところは、傷痍軍人や怪我人がいっぱい出てくるところ。
やけっぱちになって自暴自棄で戦争に行っても人間はあっさり死なないよ、手足を失ったり傷病に苦しんだりしながら、それでも生きるんだよ、という描写が随所に入ってくる。