中上健次『讃歌』

中上健次『讃歌』
1990年・文藝春秋

『讃歌』中上健次 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS

性を超え 人種を超え 国も超えた
新しい時代 新しい地上

全篇にみなぎる性とイン・モラルな描写
大胆で破天荒な力あふれる長編小説

(単行本帯より)

中上健次の「紀州サーガ」につらなる連作の一篇であり、歌舞伎町文学の最高峰。

中上が「路地」と呼ぶ被差別部落が消失した後の時代=1990年の時点での「現在」そして「新宿」を舞台にした、サーガの転換期となった小説だ。

 

「路地」の消失には個人的な記憶が重なる。

私の故郷の被差別部落は、1970年代にはうっそうとした雑草の茂みにおおわれた見るからに秘境めいた山中の集落だった。

1980年代には細い山道が広げられ舗装され、水道と用水路が整備され、集会所ができて住環境が改善されていった。

同和対策事業特別措置法

法律第六十号(昭四四・七・一〇)

地域改善対策特別措置法

法律第十六号(昭五七・三・三一)

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1990年に上京した私は大学の文学研究会に入り、そこで同年代の友達ができた。

みんな中上健次が好きだった。

リアルタイムで出版された新作『讃歌』について、文研の連中と大いに語り合った。

みんな口々に言っていたのは、あからさまな性行為の描写が延々と続くことへの戸惑いだった。それまでの中上の小説にもあったけど、ここまでとは……

みんな20歳そこそこだったしな。そんな性体験ないし、わからんわ。

 

中上の文体は重い。

密度・圧力・重力がすごいので、なかなか読むテンションにならず躊躇するけど、いったん読みはじめるとスイッチが入り、その重力に引っぱられて一気に読んでしまう。

いま読みなおすとたしかに性描写は執拗だが、欲望をブーストする装置=資本主義が加速して狂気に達し空転していくさまを描いているようにも読める。

 

荻窪の居酒屋『黒潮』でのバイトが終わって高円寺の四畳半に帰ろうと駅の階段を降りていたら、改札で文研の悪友、大村・三浦・川淵が待っていた。

俺の部屋に集まって中上の話をしながら安酒で飲んだくれていると、誰かが「熊野へ行こう、枯木灘へ行こう」と言いだした。

「いつ?」「いま!」

当時免許を持っているのはその場にいない立石しかいなかったので、電話で叩き起こして呼び出してクルマを持ってこさせ、立石以外はガンガン酒を飲みながらものすごいハイテンションでドライブを開始。道案内もろくすっぽできないので立石まかせだったような気がする。悪いことをした。

 

結局、熊野には行かなかった。どこまで行ったんだっけ……伊勢?

ドライブの途中でどこかの居酒屋で飲み食いして、東京に引き返した記憶がある。

ガス欠だったか、憑き物が落ちたか。

そのあとどうしたんだっけ? 俺んちでザコ寝したんだっけ? よく覚えていない。

重ねがさね、立石には悪いことをした。

 

そういえば『讃歌』にはドラッグが出てこないんだよね、全然。

村上龍『エクスタシー』の登場人物はコークとMDMAをキメまくるけど、イーブは麻薬の類は一切やらない。酒は飲む。

中上の他の小説では、中本の一統の若衆には覚醒剤を好む者が多かった。

『讃歌』では性描写が濃密すぎてそっちに手が回らなかったのか? あえて集中度を高めるために描かなかったのか?

麻薬で身をもち崩す人間を身近で山ほど見てきたポン引きのチョン子が、イーブの身を案じて薬物を禁じたのか?

などと想像する。

 

とりとめなく書いてしまったが、とりあえずここまで。