文藝別冊『中上健次 没後10年』

(初出:『remix』2002年12月号 『Books』より)

たとえばジャズのレコードだったら、マイルス・デイヴィスの『パンゲア』、あるいはアルバート・アイラーの『グリニッジ・ヴィレッジ』。決して普段聴き流せる音楽ではないが、時折、無性に聴きたくなる時がある。フルヴォリュームで、浴びるように。

私にとって中上健次とはそういう作家で、日常生活の中ではなかなか手に取る気にはならないのだが、年に何度か、ふとわけもなく物狂おしくなって、眠れない夜などに一気に読み始め、貪るように読み耽ってしまうことがある。そんなふうにして中上のテクストに没入している時は、感覚器官がうっすらと昂ぶり、麻薬に痺れてしまったような、異次元空間をさまよっているような、なんともいえない興奮状態に陥ってしまう。数時間かけて読み終えると、軽い疲労感と、ずっしりとした読後感に包まれる。鍛え抜かれた言葉と物語は、かくも強くなりうるものか、と思う。

没後10年を記したこのムックは、生前のレア・テイクに加え、中上の重力に引き寄せられた人々によるオマージュを収録したアンソロジー、といったところか。生前交流のあった作家や批評家が稿を寄せているが、すでにこの世を去って10年経ったというのに、なにやら中上の表情をうかがうような記述も見うけられ、なんだかおかしい。それだけ中上の影響力は大きかったということか。そういえば中上がいなくなってから、天皇被差別部落民に対する考察や議論はますます世論の表面から姿を消し、見えなくなってきている。何ひとつ問題が解決したわけではなく、現実はむしろ差別を隠蔽し、耳触りのいい言説と出来合いの物語が氾濫し続けているというのに。

なにやら生真面目に語ってしまったが、お堅い内容ばかりではなく、巻中にはビートたけし都はるみとの、いまとなっては実に貴重な対談も入っている。とくに都はるみと意気投合して「演歌とジャズは同じ!」とはしゃぐ中上はなんとも微笑ましい。どうせなら「まるで会話が噛み合わなかった」という、幻のボブ・マーリーとの対談も読んでみたかったな。ミーハーだけど。
(春日正信)

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