映画『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』

映画『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』を観た。

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芥正彦の明晰な弁舌と毅然とした立ち居振る舞い、平野啓一郎の的確な分析が印象に残る。
豊島圭介監督が俺の好きだった『怪奇大家族』や『古代少女ドグちゃん』を手がけていたことに驚いた。

 

大学時代、校内のあちこちで学生運動のタテカンやアジビラを日々目にしていたけど、俺はそういうのを馬鹿にしていた。
自分が小中学生のときに加わっていた部落解放運動に比べると、幼稚でチャチなお遊びに見えた。

 

「諸君が『天皇』と言ってくれれば、俺は喜んで諸君と手をつなぐ」という三島の有名な発言をはじめて映像で観た。
戦時中に「天皇」や「国家」と自己が一体化した充実感と恍惚感に満ちていた青年たちが、敗戦直後に猛烈なアイデンティティクライシスに襲われたことは想像に難くない。
甘粕正彦の自殺を思い出した。 

 

似たような体験が俺にもなくはない。
部落解放運動の強烈なエネルギーと自己肯定感に支えられて育った小中学生の頃を思い出した。
高校に入って運動から遠ざかってからは、その熱気は失われた。
いや、「失われた」というのとはちょっと違うか。
ここもうちょっと掘り下げたい。

 

三島由紀夫全共闘ウガンダの黒いダブ・アナキスト集団IR、閃光のハサウェイGのレコンギスタ、さらざんまい……
ここのところ「革命」についてぐるぐる考えながら、自分史の複数のポイントで出会った「革命」を思い出している。
部落解放運動、黒人音楽と公民権運動、ラスタファリアニズム、トロピカリズモ、ドラム&ベース……
そう考えると、俺やっぱ「渋谷系過激派」だったんだろうな。

 

大学生のとき所属していた「ブリティッシュビート研究会」の部室は、もともと左翼セクトが占拠していた地下室の一角を徐々に侵食していって、最終的にセクトが出ていったらしい。
政治の季節がサブカルチャーへと変遷していった、いかにもあの時代らしい話だ。

 

いつか書こうと思っていたが、俺は中学時代に「革命」に近い体験をしている。
ただあまりにもまばゆい時間と空間だったため、ある種のトラウマにもなっていて、なかなか話せないし思い出せない。
1年戦争後のアムロジャミルニートみたいな状態だ(わかりにくいか)。

吉田中学校に俺がいた時期は、広島の反戦人権教育がもっとも盛んな時期で、その理想主義的なポジティヴな側面が十全に発揮されていた。
いじめの兆候があれば生徒たちが徹底的に話し合って解決し、文化祭では戦争をテーマにした演劇『ばんざいじっさま』をやった。
生徒同士の敵対心や競争心が消えて一体感が生まれ、勉強のできる奴はみんなに知識と技術を共有して学級全体の成績がグングン上がっていく。
当時、部落解放同盟少年部のリーダーをやっていた俺は、クラスの人権教育におけるキーパーソンとして機能していた。

 

なぜ、あんなふうになにもかもうまくいったのか、理由はよくわからない。あの場にいた生徒も教師も説明できないだろう。
中学の3年間があまりに輝かしかったせいで、高校の3年間はどんよりとした喪失感に包まれていた。いまでも高校時代のことはあまり思い出せない。